松崎藩主家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 20:20 UTC 版)
久留米藩2代藩主忠頼は当初跡継ぎに恵まれなかったため、但馬国出石藩主小出吉重の子で外甥にあたる有馬豊祐を養子とした。しかし、後に頼利、頼元が生まれ、豊祐には支藩として松崎藩1万石を分封された。 だが豊祐は縁戚である陸奥国窪田藩主土方氏のお家騒動の仲裁を怠った責を問われて土方雄隆(正室が小出吉重の娘、豊祐にとっては姉婿)に連座。改易された。嫡子小出英致(初名:有馬豊胤)は小出氏の養子となり、松崎支藩主家はわずか一代で断絶した。
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