松山藩家老奥平家の相続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 10:44 UTC 版)
元禄16年(1703年)9月27日、300俵の幕府旗本・松平杢之助政定の次男として江戸に生まれる。父政定は、2000石の旗本・松平織部定之の七男で、母が松山藩の家老奥平貞由の娘であった。宝永7年(1710年)祖母の実家、伊予松山藩家老である奥平藤左衛門家の家督と、養父の遺禄の内2500石を相続する。正徳4年(1714年)与力を預けられ組頭となる。享保3年(1718年)家老職見習。享保5年(1720年)家老となり、同年300石の加増を受ける。享保14年(1729年)知行3000石となる。
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