東運寺 (杉並区)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 16:13 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動東運寺 | |
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所在地 | 東京都杉並区方南2-5-4 |
山号 | 念仏山 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来[1] |
創建年 | 天正元年(1573年)[注釈 1] |
開山 | 一安[1] |
開基 | 鈴木伊兵衛 |
中興年 | 大正11年(1922年) |
中興 | 桂巌 |
別称 | 釜寺 |
公式HP | 東運寺公式サイト |
法人番号 | 9011305000403 ![]() |
概要
1573年(天正元年)、一安によって開山された。一安は安寿と厨子王の守り本尊「身代り地蔵尊」を奉じており、地元の地主だった鈴木伊兵衛が自分の屋敷を寄進して「念仏堂」にしたという[2]。
明治になり寺運衰微したが、1922年(大正11年)に下谷入谷町にあった「東運寺」と合併し「念仏山東運寺」となった。中興の桂巌新体制の下で、本殿などを新築した[3]。
釜寺
当寺の本堂の屋根の上に釜が載せられていることから、通称は「釜寺」と呼ばれている。これは厨子王が釜茹でにされそうになった時に、僧侶に扮した地蔵に助けられた故事からきている。現在の釜は二代目で、米1俵を炊くことができるという[2]。
山門
当寺の山門は三井八郎右衛門から寄進されたもので、元々は一関藩江戸藩邸の門であった。赤穂事件で浅野長矩が一関藩主田村建顕(右京太夫)に預けとなり、今生の別れにこの門をくぐったという[3]。
交通アクセス
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 和田村.
- ^ a b 20 東運寺【寺院】(方南2丁目5番4号)杉並区教育委員会事務局生涯学習推進課文化財係
- ^ a b 大谷光男、嗣永芳照 著『杉並区史跡散歩 (東京史跡ガイド15)』学生社、1992年、111-114p
参考文献
- 大谷光男、嗣永芳照 著『杉並区史跡散歩 (東京史跡ガイド15)』学生社、1992年
- 「和田村 念仏堂」『新編武蔵風土記稿』巻ノ124多磨郡ノ36、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763995/52。
関連項目
外部リンク
- 東運寺 (杉並区)のページへのリンク