東海映画撮影所
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東海映画撮影所(とうかいえいがさつえいじょ)は、かつて存在した日本の映画スタジオである[1][2][3][4][5][6][7][8][9]。竹本商会の竹本武夫が同撮影所の用地として借用した土地に、牧野省三がマキノ・プロダクションの中部撮影所(ちゅうぶさつえいじょ)を建設、1927年(昭和2年)5月に開所したのが最初である[1][3][5][6][7]。マキノ撤退後は、竹本が同撮影所をレンタルスタジオとして稼働、小澤得二の小澤映画聯盟、細山喜代松の第一線映画、その後身の瀧口乙三郎のトキワ映画等が使用した[6]。
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- ^ 鶴見[2008], p.85.
- ^ 八事撮影所、日本映画情報システム、文化庁、2013年6月21日閲覧。
- 1 東海映画撮影所とは
- 2 東海映画撮影所の概要
- 3 名称の変遷
- 4 参考文献
- 東海映画撮影所のページへのリンク