東南墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:02 UTC 版)
ベル神殿の南約1.5キロメートルにあり、塔墓・家屋墓およそ20基余りが認められる。また、約20基の地下墓が発見されており、1950年代、シリア政府により10基余りが発掘調査され5・9・11号墓が修復・復元されている。1991年からは、日本の調査隊によりA・C・D・E・F・G・H号墓の7基が調査され、4基の地下墓(C・E・F・H号墓)のうちF号墓「ボルハとボルバ兄弟の墓」(紀元128年)・H号墓「タイボールの墓」(紀元113年)が修復・復元された。C号墓「ヤルハイの墓」(紀元109年)からは、女神ニケの彫像、ヤルハイの彫像などのほか人骨(61体)が発見された。その後、治安の悪化により、日本が修復・復元した墳墓は防御のため2011年に埋め戻されていたが、F号墓を除いてすべて盗掘され、彫像の大半が奪われた。
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