杣街道とは? わかりやすく解説

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杣街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/25 14:23 UTC 版)

新海道の石碑(湖南市)

杣街道(そまかいどう)は、近江国甲賀郡三雲村(現・滋賀県湖南市三雲)と伊賀国阿拝郡上柘植村(現・三重県伊賀市柘植町)を結ぶ街道。三雲で東海道、上柘植で大和街道にそれぞれ接続する。

杣海道、新海道、伊賀街道、伊勢街道、東海道分間延絵図では杣谷道、一般には杣道とも呼ばれていた[1]

歴史

三雲の横田渡で野洲川を渡らずに杣川沿いを南へ進み、倉歴峠を越えて上柘植に至るこのルートは近江朝時代の東海道の一部区間にあたり「倉歴(くらぶ・くらふ)道」ともいう。上柘植から先は大和街道を東へ進み、加太越伊勢国鈴鹿郡新所村(現・三重県亀山市関町新所)に至る。壬申の乱後に一旦廃れたが、野洲川沿いを南西に進み、鈴鹿峠を越えて直接伊勢国へ入る「阿須波(あすは)越」に変更される886年仁和2年)まで東海道として利用された[1]

その後も、湖南から伊賀へ抜ける「伊賀道」として、伊勢参宮の間道として、山伏の道として、杣谷の人々にとっての主要道として重要な道であった。江戸時代に入って17世紀には三雲から東海道と分れて伊賀へ至る現在のルートの大要が確認でき、1742年寛保2年)の資料には「杣海道」の名称が確認できる。現在のルートが整えられたのは明治20年代のことで、当時これを「新海道」と称した。1889年、沿線に関西鉄道が開通。1907年に国有化され、現在のJR草津線となっている。

経路

三雲(湖南市)<東海道と分岐> → 三本柳甲賀市水口町) → 深川市場(甲賀市甲南町) → 寺庄(甲賀市甲南町) → 大原市場(甲賀市甲賀町) → 上野(甲賀市甲賀町) → 倉歴峠 → 上柘植(伊賀市柘植町)<大和街道に合流>

脚注

  1. ^ a b 図説・近江の街道. 郷土出版社. (1994-07-26). pp. 52,192 

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