村本喜代作の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/03 05:12 UTC 版)
駿州政財界の御意見番にして元県議会議長を務めた村本喜代作は山雨楼主人などの名で表裏の歴史を判りやすく筆にした。子母澤寛も取材の折に地方史を村本より教授されたとされる。昭和55年(1980年)、静岡の日赤病院(県議時代に同施設の設立に骨を折っている)に入院中の村本は作家の藤田五郎と面談した際に、遠州侠客伝を含む自身の著作を藤田の大著である『任侠百年史』に引用することを許諾し、病床の中で「安東文吉(駿河の大親分)は弟の辰五郎と浪人小泉が参謀にいなかったら大親分になれなかっただろう。次郎長は山岡鉄舟との出会いがなかったらここまで大物にはなれなかっただろう」という言葉を残している。
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