札幌勤務時代
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1880年(明治13年)7月、大島は札幌農学校を卒業し、開拓使御用係となった。同年10月には札幌農学校予科教員となり、和漢学・地理学を担当した。1883年3月には助教に昇格している(地文学・代数学を担当)。同年8月、伊藤一隆の妹の平野千代と結婚し、翌1884年6月には、長男 正満が誕生した。 1886年、札幌独立キリスト教会から牧師に任命されたが、按手を受けていなかったことが外部のキリスト教会で問題視されたため、1888年に新島襄の仲介で按手礼を受けた。しかしこのことがいかなる組織にも帰属しない独立教会の内部の反発を買い、後に札幌を去ることになるきっかけとなった(クラーク先生とその弟子たち、「新島襄先生来る」より)。1892年4月、佐藤昌介校長心得(農学校の同期。後の北海道帝国大学初代総長)より、牧師と教員(1889年から教授)との兼務を諫められたため、牧師の職を辞した。
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