木村六左衛門不正事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 16:59 UTC 版)
微禄の出自で下級士分に過ぎなかった木村家は、文政年間に勘定方の中間管理職である勘定方・元〆職に登用された。しかし、文政6年(1823年)、小諸藩江戸藩邸における予算の執行作業に不正を行った(あるいは木村六左衛門の重大な過失により、不正会計処理をせざるを得なくなった)。この不正は故意によるものか、重大な過失なのかは、史料を読む限り不明である。本件を伝える数種類の古文書のうち少なくとも1通以上は、木村六左衛門の失念が原因であったとしている。懲戒内容が切腹や改易(取り潰し)ではなかったので、極めて悪質なものではなかったとみられる。その一方で、役職取りあげ、家の格式降格並びに持高の減石、および縁坐による親類一同の処罰が行われた。
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