朝光寺原式土器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:34 UTC 版)
南関東一帯に分布する弥生後期の「久ヶ原式土器」「弥生町式土器」とはかなり違うデザインである。壺形・甕形土器の区別が曖昧で、頸部が久ヶ原・弥生町式ほど細くなく、櫛描き波状文様があり、群馬県渋川市「樽遺跡」出土の「樽式土器」に似ている。1938年(昭和13年)に杉原荘介が、横浜市域で樽式土器に良く似た土器が散見されることを指摘して「荏田式土器」と呼称するべきではないかとしていたが、朝光寺原遺跡B地区510号住居で纏まった土器群が見つかり、樽式土器の系統にあるが、それとの違いも具体的に解ってきて「朝光寺原式土器」として型式設定が提唱された。久ヶ原式・弥生町式土器と共存して横浜市域北部の限られた範囲に分布する。
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