朝倉震陵とは? わかりやすく解説

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朝倉震陵

読み方あさくら しんりょう

江戸後期画家周防徳山の人。徳山藩絵師朝倉南陵の子。号は初め震山。名は等璘、通称は牧太。初め雲谷派学び、後に谷文晁師事する山水能くした。明治4年(1871)歿、74才。

朝倉震陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/04/14 06:43 UTC 版)

朝倉 震陵(あさくら しんりょう、寛政10年(1798年)- 明治4年(1871年11月29日)は、江戸時代の人物。徳山藩御用絵師

朝倉家は代々徳山藩に御用絵師として仕え、震陵はその5代目に当たる。父は徳山藩の絵図方も務めた朝倉南陵。兄に朝倉右仲がおり、震陵は三男。名は直逞。三郎、喜作、八代吉、牧太、奇石軒と称し、号は震山、震陵、後に等璘と号する。

幼時は父・南陵の指導を受けたが、後にへ赴き雲谷派の雲谷等徽に師事し、さらに江戸へ遊学して谷文晃のもとで7年間修業した。 文政4年(1821年)、父に命じられ、江戸伊能忠敬の家に都濃郡図の写し取りに赴いている。天保2年(1831年11月、父の隠居に伴い家督を相続し、徳山藩に仕え、明治4年11月29日に74歳で没する。戒名は「奇石軒震陵等璘居士」。

震陵は、父・南陵の歴代藩主の肖像七幅を手伝ったのをはじめ、花鳥・人物・山水に多くの作品を残しており、特に山水に優れていたとされる。 昭和60年(1985年11月には、徳山市文化会館展示室において、「朝倉南陵・震陵展」が開催された。また、現在、周南市にある建咲院の宝物館には朝倉南陵、震陵の絵画が展示されている。

参考文献

  • 徳山市史
  • 周南風土記


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