晩年、宗門を代表する高僧へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/29 04:39 UTC 版)
「本遠寺」の記事における「晩年、宗門を代表する高僧へ」の解説
日遠は受不施派の中心的な僧で、寛永7年(1630年)江戸城内で行われた不受不施派との対論(身池対論)に勝利し、幕命により池上本門寺16世貫主となった。しかし翌年には弟子・日東に池上を託し、自らは鎌倉経ケ谷に不二庵を構え隠棲、養珠院をはじめ多くの信徒が参詣したという。晩年は宗門を代表する高僧と仰がれ、師・日重(本満寺12世・久遠寺20世)、日乾(本満寺13世・久遠寺21世)と共に「宗門中興の三師」と評された。寛永19年(1642年)池上で遷化。墓所は身延の大野本遠寺。著作に「玄義聞書」「法華経大意」「法華文句随聞記」「千代見草」などがある。
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