春木競馬場の集客合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 22:52 UTC 版)
「阪和電気鉄道」の記事における「春木競馬場の集客合戦」の解説
両社は当時存在していた春木競馬場への競馬輸送でも互いに競争をしていた。先に仕掛けたのは阪和電鉄で、1930年の11月の秋競馬に合わせて最寄駅の久米田駅に急行を臨時停車させ、阪和天王寺 - 久米田間を20分で結んだほか、運賃も2割引きの60銭とするなど積極策を講じた。南海は久米田駅よりもさらに競馬場に近い春木駅を擁していたが阪和の攻勢には後手に回り、翌1931年の秋競馬に難波駅 - 春木駅間のノンストップ急行を臨時運転することで応戦した。阪和はこれに対抗するため同年の臨時運転では特急をも臨時停車させているが、翌年以降の臨時停車は急行のみに戻り、また列車の増発によって臨時設定が難しくなったことから、急行の臨時停車も減少していった。 春木競馬場への観戦客輸送は阪和が南海と合併した際に、南海本線での輸送に一本化することとなったため、南海山手線での競馬輸送は取り止めとなった。その後の南海山手線の国有化で国鉄阪和線になった際にも競馬輸送は復活せず、春木競馬場も1972年に廃止された。
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