春本助治郎とは? わかりやすく解説

春本助治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 18:01 UTC 版)

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春本 助治郎(はるもと すけじろう)は、寄席色物神楽曲芸名跡。現在は空き名跡となっている。

初代

初代 春本助治郎1885年(逆算) - 1913年5月1日)は、本名: 春本 助治郎。

元は鶴の丸派の神楽出身で明治30年代に本名で寄席に進出して滑稽を売りにした太神楽曲芸で人気を得た。

2代目

2代目 春本助治郎1895年 - 1942年3月6日)は、本名: 石井 喜蔵。

初代の弟子で明治30年代末から小助治郎を名乗り寄席に出る。大正時代に一時助三郎を名乗っていたが、1913年に初代が没し1914年頃に2代目助治郎を襲名した。当初は三遊派の寄席に出ていたが大阪で浪花落語反対派を経て花月の寄席に出ていた。晩年は旧友の8代目桂文楽(「黒門町」)とともに東宝名人会に出ていた。

お囃子のまったくない毬の曲芸で人気者であった。妻は本牧亭の席亭の石井英子

出典

  • 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年) - 経歴が春本助次郎と表記されている。

春本助治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 19:51 UTC 版)

桂文楽 (8代目)」の記事における「春本助治郎」の解説

毬の名手、春本助治郎は京都時代からの旧友で、東宝名人会に共に加入したりもした。春本が、鈴本演芸場鈴木孝一席亭末娘英子結婚する話が持ち上がった時に鈴木家春本の豊富すぎる女性体験難色示した8代目文楽単身鈴木家乗り込み助治郎を援護春本結婚した鈴木家末娘英子はのちの講談定席本牧亭創業者席亭石井英子である。

※この「春本助治郎」の解説は、「桂文楽 (8代目)」の解説の一部です。
「春本助治郎」を含む「桂文楽 (8代目)」の記事については、「桂文楽 (8代目)」の概要を参照ください。

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