明長寺_(川崎市)とは? わかりやすく解説

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明長寺 (川崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/02 23:38 UTC 版)

明長寺
所在地 神奈川県川崎市川崎区大師本町10-22
位置 北緯35度32分07.1秒 東経139度43分53.5秒 / 北緯35.535306度 東経139.731528度 / 35.535306; 139.731528座標: 北緯35度32分07.1秒 東経139度43分53.5秒 / 北緯35.535306度 東経139.731528度 / 35.535306; 139.731528
山号 恵日山
院号 普門院
宗派 天台宗
本尊 十一面観音
創建年 文明年間(1469年 - 1487年
開山 静圓法印
札所等 東海三十三観音霊場24番札所
文化財 葵梶葉文染分辻が花染小袖(重要文化財)、紙本着色地蔵菩薩及び十王図(川崎市重要歴史記念物)
法人番号 4020005007480
明長寺
明長寺 (神奈川県)
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明長寺(みょうちょうじ)は、神奈川県川崎市川崎区にある天台宗寺院

歴史

文明年間(1469年 - 1487年)、静圓法印によって開山された。しかし、1669年寛文9年)の落雷で焼失したため、詳細は不明になっている。現在の本堂は1782年天明2年)に再建されたものである[1][2]

当寺には、「葵梶葉文染分辻が花染小袖」と呼ばれる小袖が所蔵されている。『新編武蔵風土記稿』によると、この小袖は荻田主馬が大坂夏の陣の戦功で徳川家康より拝領したもので、後に末裔が1748年延享5年)に当寺に預けたものである[3]。現在、重要文化財に指定されており、非公開となっている[1]

文化財

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 明長寺川崎市
  2. ^ 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年、5-6p
  3. ^ 新編武蔵風土記稿 大師河原村 百姓五百次郎.
  4. ^ 葵梶葉文染分辻が花染小袖文化庁
  5. ^ 紙本着色地蔵菩薩及び十王図川崎市

参考文献

  • 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年
  • 「大師河原村 百姓五百次郎」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ71橘樹郡ノ14、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763985/47 



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