旧主家への忠義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 14:40 UTC 版)
旧主家・松平家では、1883年(明治16年)以降、旧家臣から顧問数名を選び家政の監督を任せていたが、1886年(明治19年)に顧問を解いて山川浩及び高嶺を監督とした。1891年(明治24年)11月、高嶺は会計向総括の心得を以て取扱方も委嘱され、銀行帳簿などを自ら保管検閲した。また、主君容保(1893年12月没)の公子を自家に奉じて指導教育したという。1897年(明治31年)以降は、山川に代わり当時海軍少将であった角田秀松が監督となったが、高嶺は終生その任を全うした。
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