旧・芝田山部屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:11 UTC 版)
1931年(昭和6年)3月場所で引退して大坂相撲・高田川部屋の部屋付き親方となっていた年寄・9代白玉(元横綱・宮城山)が、1932年(昭和7年)1月に年寄・6代芝田山を襲名し、同時に高田川部屋から分家独立して芝田山部屋を創設した。しかし、幕内力士を出すこともなく、6代芝田山は1943年11月に死去した。弟子たちは高田川部屋に一時預けられ、最終的には高砂部屋に引き取られた。晩年の弟子からは宮錦が小結へ、嶋錦が幕内へ昇進した。 その後、1952年に引退した大ノ海久光が芝田山を襲名、部屋を興し、1953年に名跡を花籠に変更するまで芝田山部屋を名乗った。この部屋については花籠部屋を参照のこと。
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