日記『竹むきが記』
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名子の日記『竹むきが記』は、元徳元年(1329年)12月28日の春宮元服の記述から起筆され、貞和5年(1349年)光厳院・後光厳院の北山第御幸、同年の花見の記事までが書かれ、最後に全篇の跋歌二首が置かれている。内容は宮廷行事の記録、物詣や仏事、夫とのやりとり、子の生育記録などである。 五條小枝子は著作『竹むきが記 研究』において「記録することを強く意識して書かれている」と述べ、また挿入される詠歌は京極派の和歌が目立つところから、名子の教養基盤が同派の和歌によって形作られたと考察している。 康永から貞和年間にかけては、自らの仏道修行の志向も散見され、岩佐美代子は、『竹むきが記 全注釈』の解題に、名子の信仰告白について「著しく理性的、自省的」と述べる。
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