日置流竹林派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 16:10 UTC 版)
「日置流#竹林派」も参照 貞次門下から尾張藩士の岡部忠次(藤左衛門)、長屋忠久(忠左衛門)、長屋忠重(六左衛門)らが、さらに忠重門下からは京都三十三間堂の通し矢で名高い星野茂則(勘左衛門)が輩出し、各家は代々技術を伝えた。これら尾張の系統が尾州竹林派である。 また貞次門下の野村勝吉(喜左衛門)、瓦林(尾林)成直(与次右衛門)は紀伊藩に竹林派を伝えた。射法訓作者の吉見経武(台右衛門、法名:順正)、通し矢天下一の和佐範遠(大八郎)らが輩出した。これが紀州竹林派である。 如成は僧侶であったため、竹林派の思想・用語には仏教の影響がみられる。例えば現在の射法八節にも採用されている「会」「離」は、仏教語の会者定離にちなむ。
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