日本版の編集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 14:16 UTC 版)
「ラ・バタイユ (1923年の映画)」の記事における「日本版の編集」の解説
日本では、主人公の海軍将校ヨリサカ侯爵の妻ミツコがヨリサカの親友であるイギリス武官フェアガンと親しくなる展開や、日本海海戦のさなかに瀕死の重傷を負うヨリサカがフェアガンに艦の指揮を託す場面が国辱であるとして、冷ややかに受け止められ、原型をとどめぬほどに編集されたものが公開されたとされている。日本版の編集にあたったのはヘンリー・小谷であった。 当時の報道によると、一般公開直前の1924年9月30日に、小笠原長生子爵邸でおこなわれた試写会に招かれた東郷平八郎は、フランス海軍が18隻もの軍艦を提供して撮影に協力したことを称賛し、時には感涙を流しながら試写を観たた上で、負傷した主人公が外国人に指揮を委ねるというくだりについて、事実であると「誤解されてはいけない」と述べたといい、この部分の除去が決まったという。 編集された『ラ・バタイユ』は、海軍省の後援を受け、10月3日からまず帝国ホテルで3日間上映され、以降、一般の映画館でも公開された。
※この「日本版の編集」の解説は、「ラ・バタイユ (1923年の映画)」の解説の一部です。
「日本版の編集」を含む「ラ・バタイユ (1923年の映画)」の記事については、「ラ・バタイユ (1923年の映画)」の概要を参照ください。
- 日本版の編集のページへのリンク