日和佐城とは? わかりやすく解説

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日和佐城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/05 10:14 UTC 版)

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日和佐城
徳島県
模擬天守
別名 渭津城
城郭構造 山城
天守構造 層塔型3重3階・模擬天守昭和53年
築城主 日和佐肥前守
築城年 戦国時代
廃城年 不明
遺構 なし
指定文化財 なし
再建造物 模擬天守、模擬石垣
位置 北緯33度43分47.2秒 東経134度32分9.9秒 / 北緯33.729778度 東経134.536083度 / 33.729778; 134.536083座標: 北緯33度43分47.2秒 東経134度32分9.9秒 / 北緯33.729778度 東経134.536083度 / 33.729778; 134.536083
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日和佐城(ひわさじょう)は、徳島県海部郡美波町にあった日本の城跡。別名は「渭津城」。

概要

元亀年間(1570年~1573年)、阿波細川氏細川真之被官であった日和佐肥前守が長曾我部元親の侵攻を防ぐために築城したとされる[1]

城主だった肥前守は、1577年11月17日長宗我部氏海部進攻の主将香宗我部親泰の大軍の前に降伏した。その後、肥前守は土佐に移り住んだ[1][2]。この時に、日和佐城は廃城になったとみられている[1]

その後、日和佐氏は蜂須賀氏阿波を治めるようになると、阿波藩藩主蜂須賀家政に帰住をすすめられ、また阿波に帰り、石高50石を知行する士分に取り立てられたという[2]

遺構

現在城跡とされる城山には、昭和53年(1978年模擬天守が構築され、日和佐勤労者野外活動施設として利用されていた[1]。現在は、展望台としてのみ一般公開されている[1]。もちろん、当時の建物を再現したものではない。石垣も当時の遺構を利用したものではなく、建造当時の遺構と言えるものはほとんど見当たらない[1][2][3]

交通

周辺

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f 後藤高志『日本の城天守閣完全名鑑』廣済堂、2018年、135頁。ISBN 9784331803837 
  2. ^ a b c 角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603
  3. ^ 2000年,平凡社『徳島県の地名』




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