新生党・新進党・自由党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 00:50 UTC 版)
第40回衆議院議員総選挙に県議を辞職して旧山口1区から出馬し、初当選した。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い新進党公認で山口4区から出馬したが、安倍晋三に敗れ落選。 1999年、下関市長選挙に出馬するが、安倍の支援を受けた江島潔下関市長に敗北した。なお、この選挙の際に、安倍晋三(江島を支持)の秘書が、対立候補である古賀についての中傷文書をまくことを、ある会社社長に指示した。その後、ある会社社長は、中傷に協力したのに約束した報酬を得られなかったため、安倍晋三宅などへ火炎瓶投げ入れを暴力団に依頼する、という事件が発生した(『安倍晋三宅火炎瓶投擲事件』)。 2001年には自由党公認で第19回参議院議員通常選挙に比例区から出馬するも落選。
※この「新生党・新進党・自由党」の解説は、「古賀敬章」の解説の一部です。
「新生党・新進党・自由党」を含む「古賀敬章」の記事については、「古賀敬章」の概要を参照ください。
- 新生党・新進党・自由党のページへのリンク