新潟町移転後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 19:33 UTC 版)
「新潟市の行政区域の変遷」の記事における「新潟町移転後」の解説
寛延年間(1748年〜1750年) - 1731年に阿賀野川の松ヶ崎堀割が決壊して阿賀野川の本流になったことで、信濃川河口に発生した砂洲が発達して島になる。 宝暦8年(1758年) - 寛延年間にできた島である「毘沙門島」が開発され、新潟町の一部になる。 宝暦10年(1760年) - 寛延年間にできた島である「上島(かみじま)」が松浦久兵衛と本間次右衛門に開発され、新潟町の一部になる。 明和年間 - 寛延年間にできた島である「下島(しもじま)」が松浦久兵衛と本間次右衛門に開発され、新潟町の一部になる。 弘化元年(1844年) - 寛延年間にできた島である「厩島(うまやじま)」が開発され、新潟町の一部になる。 明治12年(1879年)4月9日 - 郡区町村編制法の新潟県での施行により、蒲原郡のうち新潟町・寄居白山新田村の区域をもって行政区域としての新潟区が発足。 明治20年(1887年) - 中蒲原郡出来島新田から西鳥屋野島(現:白山浦)を新潟区に編入。
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