新宮凉園とは? わかりやすく解説

新宮凉園

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 04:59 UTC 版)

新宮凉園

新宮 凉園(しんぐう りょうえん、1852年嘉永5年) - 1925年大正14年))は、幕末・明治期の医者・官吏。慶應義塾医学所教頭[1]

経歴

摂津国高槻生まれ。京都に住む。紀州藩医の新宮凉介の長男で、代々紀州藩の藩医を務めた新宮家の出身。

新宮凉庭が私財を投じて京都におこしていた医学塾、家塾・新宮凉庭塾(順正書院)で蘭方医学を学び、江戸に出て叔父の松山棟庵が寄宿していた慶應義塾に住み込み、岩佐純西周蘭学・医術を学び、横浜に遊学してドクトル・シモンズに学ぶ。大学東校の教授となり、中毒療法の一編を翻訳して上梓する。横浜の十全病院に通い、杉田武と共研学社をおこす。

1874年(明治7年)に慶應義塾医学所の教頭となり、かつ太政官より医術開業免許を受ける。慶應義塾医学所の教員及び役員の杉田武・小泉芳五郎・上田藤太・前田政四郎・松山誠二・沖野嘉太郎・江島春熙・宮田温・片倉壽栄・平野庄三郎らと共に、成医会、東京医学会(後の日本医師会)の創立に尽力。

内務省御用掛として1882年(明治15年)奏任御用掛、医術開業試験対策調査事務となる。1884年に非職となり、以降民間にて治療にあたる[1]

家族

  • 実父・新宮凉介(貞亮) - 紀伊(和歌山県)の医師の松山庄太郎の子。松山棟庵の兄。新宮凉庭の養子。
  • 妻・増枝 - 新宮凉庭の孫(凉庭の娘の松代と婿養子の新宮凉民の長女)[2]
  • 娘・春子 - 夫に加賀大聖寺藩士の金谷宗次郎の次男の彦二(1879年生)をむかえ、新宮凉国と改名させた[3]。凉国は東大医科卒業後、東京女子高等師範学校講師を経て三井同族事務局三井総元方嘱託[4]。春子・凉国の娘婿に、村橋俊介片山信夫がいる[4]。なお、三井家元老の能勢壽福によると、新宮家は凉民(凉園の岳父)の代までは盛んであったが、凉園の放蕩により家を売り、破産したという[5]

著書

  • 『實弗的里亞論』
  • 『獨逸醫學辭典』

脚注

  1. ^ a b 新宮凉園氏『慶應義塾出身名流列伝』三田商業研究会編、実業之世界社、1909年
  2. ^ 『播州尚友傳 ; 新宮凉庭言行録』, p. 37.
  3. ^ 『新宮凉庭傳』山本四郎、ミネルヴァ書房、1968年、p253
  4. ^ a b 新宮凉国『人事興信録』14版上(人事興信所, 1943)
  5. ^ 『播州尚友傳 ; 新宮凉庭言行録』, p. 47.

参考文献





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