足利家氏
(斯波家氏 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 09:02 UTC 版)
足利 家氏(あしかが いえうじ、生没年不明)は、鎌倉時代中期の御家人。足利泰氏の長男で、足利尾張家(足利尾張守家)の初代。子に義利・貞数・宗家。子孫は斯波氏・大崎氏・最上氏・石橋氏など。弟に兼氏(義顕・渋川氏祖)・頼氏(足利5代当主)・公深(一色氏祖)・頼茂(石塔氏祖)・義弁(上野氏祖)・賢宝(小俣氏祖)、基氏(加古氏の祖)等多数。
注釈
- ^ 『尊卑分脈』によれば、曽祖父義兼、祖父義氏、父泰氏が代々「三郎」を称していた[4]。鎌倉期の足利氏歴代当主は正室に迎えた北条氏一門の女性との間に生まれた子を嫡子とし、他の女性との間の子は年長(兄)であっても庶子として家を継がせない扱いであった[5]。頼氏の子家時や曾孫の高氏(尊氏)は母が上杉氏であるため本来は家督継承者ではなく、「太郎」を称していた。家氏は母が名越流北条氏出身の正室(当初)で家督継承権を認められて「三郎」を称していた。
- ^ 『吾妻鏡』寛元3年(1245年)8月15日条から建長3年(1251年)8月15日条までの7年間、11箇所に亘って「足利三郎家氏」と記されている[2]。
- ^ 「足利大郎家氏」の初見は建長4年4月1日条で、その後の同年11月11日条には「足利大郎家氏 同三郎利氏」と明確に記載が見られる。ちなみに、『吾妻鏡人名索引』では「三郎家氏」を"利氏の誤りならむ"としているが、建長4年の段階になっていきなり「三郎」の諱(実名)が変化し、別に全く同じ名を持つ「大郎家氏」が現れるのは不自然であるとしている[2]。
- ^ 弘長2年(1262年)説が有力。詳細は足利頼氏の項を参照のこと。
出典
固有名詞の分類
- 足利家氏のページへのリンク