足利夫人 (織田信長の娘)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 足利夫人 (織田信長の娘)の意味・解説 

足利夫人 (織田信長の娘)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/20 02:22 UTC 版)

足利夫人(あしかがふじん、生没年不明)は、安土桃山時代女性織田信長の娘とも、元側室ともされる。室町幕府の第15代将軍・足利義昭側室か妾[1]

生涯

彼女は織田信長秘蔵の「虎福女」と伝わっているが、経歴や信長との関係は判然としていない。信長の娘とも、元側室ともされる。信長の死後、信長の家族は豊臣秀吉に庇護されていたので、彼女も庇護されていたものと推測される。義昭は信長に京都を追放され、信長没後に秀吉に庇護されていた。彼女は秀吉の命令で天正19年(1591年)4月26日、剃髪して昌山と号していた義昭に嫁いでいる[2]

脚注

  1. ^ 岡田正人『織田信長総合事典』雄山閣、1999年、180頁。 
  2. ^ 『多聞院日記』においては「大門一昨日ヨリ小(大)坂ヘ御越、去月廿六日商(昌)山様ヘ関白ヨリ祝言在之、信長ノヒサウノ虎福女也ト、依之為御礼御越輿」とある。現代語訳すると「大門(大乗院門跡)の義尋が一昨日より大坂へ出向いた。去る4月26日に父親の昌山(足利義昭)の下へ関白・豊臣秀吉から輿入れが行なわれた。信長秘蔵の虎福女であるという。義尋はそのお祝いのために大坂へ出向いた」(多聞院日記、天正19年5月11日条)。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「足利夫人 (織田信長の娘)」の関連用語

足利夫人 (織田信長の娘)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



足利夫人 (織田信長の娘)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの足利夫人 (織田信長の娘) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS