敵討櫓太鼓
読み方:カタキウチヤグラダイコ(katakiuchiyaguradaiko), カタキウチヤグラノタイコ(katakiuchiyaguranotaiko)
敵討櫓太鼓
敵討櫓太鼓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 23:15 UTC 版)
東海道四谷怪談などを書いた歌舞伎狂言作者鶴屋南北も八百屋お七の歌舞伎狂言を書いている。初演は文政4年(1821年)河原崎座においてである。鶴屋南北の八百屋お七の題は「敵討櫓太鼓」全8幕の芝居であるが、1975年の時点では台本の一部は残っていない。鶴屋南北の「敵討櫓太鼓」では物語中盤で吉三郎とお七は夫婦になり幸せに暮らしている。しかし吉三郎は親の敵を知ることになりお七を見捨て敵討ちに出発する。お七は吉三郎を追いかけるため町木戸を開かせようと火の見櫓に登って禁制の太鼓を打つ。お七は死刑を言い渡されるが運よく大赦で救われる。吉三郎は首尾よく敵を討ち果たす。
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