教育学に専念する
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:30 UTC 版)
澤柳は退職後に本格的に教育研究に取り組み、「従来の教育学はあまりに観念的すぎて、教育制度や教育内容を改革するのに全く役に立たない」と考え、「〈教授の実験〉に基づかない大学の教育学者たちの論説」に対して痛烈な批判を浴びせた。澤柳は科学的な教育研究の方法として「研究の対象を明確に限定すること」と「教育の理論ではなく〈教育の事実〉を対象にしなければならない」と主張した。また「現行の教育に関する事項のほとんどは〈常識の判断〉から決定されていて、教育学者の研究成果によるものはほとんどない」と指摘した。 澤柳は中学校用の修身教科書の作成を行った。澤柳はそのさい、「道徳性が発展することは、愉快なものであるはずなのに、それを養う修身教育がまったくつまらないのはおかしい」と考え、従来の教科書を調べて「ほとんど似たり寄ったりで、同じような道徳の細目の羅列に終わっている」と認め、その原因が「文部省の参考例示に過ぎない〈教授要目〉」にあることを認識した。澤柳は自ら修身教科書を書き、その中には「元来勉強は、苦しきものにはあらずして、楽しきものなり」と書いた。澤柳の修身教科書は高く評価され、1910年度(明治43年)の全国の中学校で最も多く採用された。
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