教育と奴隷制廃止運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 09:48 UTC 版)
「トーマス・ウェントワース・ヒギンソン」の記事における「教育と奴隷制廃止運動」の解説
トーマスは13歳でハーバード・カレッジに入学、16の時にファイ・ベータ・カッパ(英語版)のメンバーに選ばれた。 1841年に卒業後、2年間教師を勤め、その間の1842年にメアリ・エリザベス・チャニングと婚約した。 ハーバード大学神学大学院(英語版)では神学を学んだが、1年目が終わる頃には奴隷制廃止運動に注力するためとして出席しなくなっている。翌年には、勃発が予想されていたメキシコとの戦争に反対する運動をしていた先験主義(英語版)的ユニテリアン主義の聖職者セオドア・パーカー(英語版)の薫陶を受けた。戦争は奴隷制と奴隷労働を拡大する口実にしかならないと信じ、反戦詩を書いたり、戦争反対の請願署名を乞うて家々を回ったりした。1840年代に反奴隷制運動が分裂すると、トーマスは分離主義的奴隷制廃止運動に賛同した。これは、連邦に奴隷州が残る限り、奴隷制を支持している憲法が改正されることはないと考えることを前提とした運動である。
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