教会牧師へ
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1916年(大正5)年、東京帝国大学工科大学卒業とともに、名古屋教会の長老であった服部俊一(東洋紡績株式会社取締役)の人格に惹きつけられ、東洋紡績株式会社に入社。1925(大正14)年、津工場(三重県)の工場長を最後に東洋紡績株式会社を退社。高倉徳太郎が校長であった東京神学社へ入学。1926(大正15)年9月、横浜の鶴見に定住して、神学校に学びながら鶴見の開拓伝道に奉仕した。1927(昭和3)年は、教会堂建設の具体化が勧められ、鶴見伝道教会の建設式と献堂式とが同時に挙行された。背後には佐波亘を中心とした大森教会の絶大な支援があったと言われている。1931(昭和6)年4月、日本基督教団の教師として任職。1934(昭和9)年9月30日(日曜)に、独立教会としての教会建設式が行われ、名実共に鶴見教会の牧師となった。
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