救いの保障
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 01:04 UTC 版)
「ローマの信徒への手紙」の記事における「救いの保障」の解説
5章から8章にかけて、パウロは信じるものは救いの約束を受け、罪と律法のくびきから解放されると論じている。ただし、律法や決まり事は自分の行いが悪であり、罪であることに気づかせてくれる、として善いものと見なしている反面、人間にできることは罪の自覚を得ることのみで救済には至らないと結論付けている。パウロは信仰によって義とされ、信じるものはイエスとともにあり、罪から解放されるという。さらに信じるものは希望をもって喜ぶべきである。また、この約束はすべてのものに開かれているので、全ての人が罪によって神から離れたように、イエスの償いによっては全ての人の罪がゆるされるという。 9章から11章にかけてはパウロは神が選んだイスラエルに対して忠実であられたことに触れ、同じように神は信じるものに忠実であられることを思い起こさせる。パウロは自身もイスラエルの一員であり(11:1)、かつてキリスト者を迫害していたため、イスラエルの民がみなこの真実に気づくことを望んでいる(9:1-5)。パウロは神がかつてイスラエルの民を選んだように、キリストに従うものを新しい民として選ぶという。(11:19-22)
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