放送を始めた理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/02 18:52 UTC 版)
海鹿島海斗は自分のことを「放送の才能もなければ、基礎もない」と称することが多い。基礎がないという根拠として、ミニFM局『銚子ビーチステーション』に入るまで、放送部などの活動もしたことがない事をよく例に挙げる。 しかし、そんな縁もない放送というものを始めたきっかけは、大学受験で心理的に疲れていたころに、友人であるDJしんいちが始めたミニFM局『銚子ビーチステーション』を聞いて、感銘を受けたためである。元々好奇心が旺盛で、音楽好きである海鹿島海斗は、DJしんいちに頼み込み、局員として参加することとなる。 最初に収録したときは「こんなに楽しいものなのか」と感動したのだが、その後放送された音声を聞き、その声の気持ち悪さと、硬いしゃべり口(今思えば緊張していたから当たり前と海鹿島海斗は後に語る)、何よりも噛み噛みでしゃべる自分を許せなかったらしく「もう2度とやりたくない」と考えたようである。 しかし、DJしんいちのお世辞により何とか次回収録にこぎつけ、本来の持ち味である毒舌と自由なしゃべりを徐々に放送で出せるようになり、海鹿島海斗自身も番組作りへのこだわりを持つようになり、10年以上アマチュア放送にかかわることとなる。
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