支援断念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 03:08 UTC 版)
これらの相次ぐ売却により、創業当時の本拠地であったフロリダ州のマイアミ国際空港を本拠地とし、わずかに残ったボーイング747でマイアミ発のロンドン(ガトウィック空港)とパリ線を飛ばす他は、カリブ海周辺および南アメリカ路線、東部を中心とした国内線の運航を行う中規模航空会社として、デルタ航空の支援のもとで1991年10月にラッセル・L・レイ・ジュニアが新たなCEOに就任し、経営再生を行うこととなった。 しかし、同年に勃発した湾岸戦争による国際線乗客激減と同時に起きた燃料高騰、そして最後の頼みの綱であったデルタ航空による支援策が、同社の大株主の反対を受け白紙撤回したことがとどめを刺す結果となった。
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