播磨鑑と宮本武蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/21 20:44 UTC 版)
伊織に関する記述に先立って、その養父・宮本武蔵についても記載されている。 そこでは、武蔵の出生地について「宮本武蔵 揖東郡鵤ノ邊、宮本村ノ産也」(もしくは「宮本武蔵 揖東郡鵤ノ荘、宮本村ノ産也」)と断言している。宮本村は現在の兵庫県揖保郡太子町宮本である。 このことより、少なくとも平野は、武蔵の出生地は自明のこと(もしくは検証によって確定したこと)と考えていたことがうかがわれる。ただし、『播磨鑑』では、これに異説がある、と明記して、異説については別途記載する旨を述べている。しかし現時点では、平野が異説を記述した文献は見つかっていない。 武蔵の出生地については、一次史料においては、播磨国出身との記述しかない。二次史料のうち、成立時期の早い部類に含まれる『播磨鑑』でのこの記述は、武蔵の出生地論争に一石を投じている。
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