摂取寺とは? わかりやすく解説

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摂取寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/24 03:36 UTC 版)

摂取寺
所在地 熊本県宇城市小川町北部田533
位置 北緯32度36分08秒 東経130度43分18秒 / 北緯32.602235度 東経130.721769度 / 32.602235; 130.721769
山号 海雲山(海雲山)
宗旨 浄土宗
本尊 阿彌陀如來
創建年 1691年(元禄4年)
開基 准譽
正式名 海雲山摂取寺
海雲山攝取寺
文化財 涅槃会図
来迎仏絵図
法人番号 5330005005618
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摂取寺(せっしゅじ)は、熊本県宇城市小川町北部田[1]に所在する浄土宗の寺院である。山号は海雲山。

概要

開基

元禄4年(1691年)4月9日、肥後国八代町の荘厳寺住職准誉により開基される。

開基以前

応仁の乱後の戦国時代、天文年間から弘治年間(1532年 – 1558年)にかけて、兵乱により大破し、寛文年間(1624年 – 1644年)に再建されたとの伝えがある。阿蘇家の古文書には「天文19年(1550年)12月8日阿蘇惟豊益城郡内の守山のうち、摂取寺3町を宛てがっている」との記述がある[2]。また、一切経(黄檗版大蔵経(鉄眼版))で知られる黄檗宗の禅僧・鉄眼道光の事を記した「鉄眼禅師行実」には、鉄眼は、寛永19年(1642年)の13歳の時より17歳まで、摂取寺の海雲和尚について仏教の勉強をした、とある[3]

以上のことより、准誉による開基以前より、何らかの形で僧職が宗教活動を行なっていたことがわかる。それらの活動を含めると、寺院の歴史は少なくとも500年以上に及ぶと言われている[4]

行事

  • 1月25日 – 法然上人の御忌会(ぎょきえ)
  • 2月15日 – お釈迦様の涅槃会(ねはんえ)
  • 4月8日 – 花まつり
  • 8月25日 – お施餓鬼会(せがきえ)
  • 9月18日 – 清水観音祭り

文化財

  • 涅槃会図(狩野幸信画)
  • 来迎仏絵図(福仏恩春画)

その他

境内
  • 清水観音堂
  • 肥後国藩主細川家の4人(2代忠興公、3代忠利公、4代光尚公、宇土支藩初代行孝公)の位牌が納められており、細川家と関係が深かったことがわかる。

脚注

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  1. ^ 下益城郡北部田村小野部田村北部田
  2. ^ 小川町教友会編纂『小川のむかしばなし』小川町教友会、2001、20頁
  3. ^ 小川町史編纂委員会編纂『小川町史』小川町役場(熊本県)、1979、370-371頁
  4. ^ 小川町教友会編纂『小川のむかしばなし』小川町教友会、2001、21頁

参考文献

  • 下益城郡教育支会編纂 『下益城郡誌』 臨川書店、1922年、466頁
  • 日本歴史地名大系44 『熊本県の地名』 平凡社、1985年、644頁
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年、1479頁

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