授刀衛の性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 23:30 UTC 版)
上記のように授刀衛と中衛府は設置の経緯や所属する将兵(授刀衛は授刀舎人、中衛府は中衛舎人)の出身階層が酷似しているが、両者を比較した場合の相違点として下記の点があげられている。 設立の経緯から一貫して藤原氏(藤原仲麻呂)に忠実であった中衛府と異なり、授刀衛は藤原仲麻呂の乱の際には藤原仲麻呂に敵対する孝謙上皇側の主戦力として大きな役割を担った。これは元々が孝謙上皇の皇太子時代の親衛隊的な存在であったため、授刀衛の長が藤原氏であっても一貫して孝謙上皇に忠誠を置く集団であったからと考えられている。しかも、前述のように授刀督藤原御楯が急死した結果、孝謙上皇が授刀衛を自己の統制下に置くことに成功し、結果的に上皇と対立した藤原仲麻呂を抑圧する役目を果たしたとする見方もある。 また、第二次授刀舎人の前身である騎舎人は、他の舎人や兵衛には見られない「騎馬の舎人」という性格を持っているため、授刀衛自体が騎兵からなる部隊であるという説もあるが、確認できる記録はない。
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