折敷畑山とは? わかりやすく解説

折敷畑山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 01:39 UTC 版)

折敷畑山
標高 445 m
所在地 日本 広島県廿日市市
位置
北緯34度21分32.8秒 東経132度16分57.2秒 / 北緯34.359111度 東経132.282556度 / 34.359111; 132.282556座標: 北緯34度21分32.8秒 東経132度16分57.2秒 / 北緯34.359111度 東経132.282556度 / 34.359111; 132.282556
プロジェクト 山
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折敷畑山(おしきばたやま)は広島県廿日市市宮内地区の西部を占める山[1]。標高は国土地理院地図では445mと記載[2]。日本歴史地名大系によれば366.9m。

地形

市内を流れる御手洗川と可愛川の間にあり、山裾から瀬戸内海の沿岸部へ向けて宗高尾・谷宗尾・越峠尾・藤掛尾と称する尾根状の丘陵があり、これらは他の丘陵とともに七尾と総称されている[1]

歴史

1554年天文23年)にこの山で陶晴賢毛利元就との間で戦いが発生した。この戦いは折敷畑の戦い若しくは明石口の戦いと呼ばれている[3][4]

脚注

  1. ^ a b 日本歴史地名大系. “折敷畑山(おしきばたやま)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年4月24日閲覧。
  2. ^ 廿日市20名山リスト(廿日市・佐伯・吉和・大野・宮島の順)”. はつかいち観光協会. 2023年4月24日閲覧。
  3. ^ 東滋実. “「折敷畑の戦い(1554年)」陶晴賢と袂を分かった元就、厳島の戦いを前に圧勝する | 戦国ヒストリー”. sengoku-his.com. 2023年4月24日閲覧。
  4. ^ 山本浩樹『西国の戦国合戦』吉川弘文館〈戦争の日本史12〉、2007年。

折敷畑山(おしきばたやま)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 15:38 UTC 版)

四季が丘」の記事における「折敷畑山(おしきばたやま)」の解説

四季が丘公園ポポロ)の背後にそびえる標高445mの山。ハイキングルートが整備されている。1554年天文23年9月大内氏重臣陶晴賢軍勢7千と、毛利元就軍勢3千余がこの山で激突し小早川隆景吉川元春らによる包囲殲滅作戦により毛利側が圧勝したという(折敷畑の戦い)。翌1555年天文24年)の厳島の戦い厳島合戦)の前哨戦である。

※この「折敷畑山(おしきばたやま)」の解説は、「四季が丘」の解説の一部です。
「折敷畑山(おしきばたやま)」を含む「四季が丘」の記事については、「四季が丘」の概要を参照ください。

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