打瀬船とは? わかりやすく解説

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打瀬船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 07:47 UTC 版)

打瀬船(うたせぶね)とは、漁業において、1枚または複数の風船体に対し平行に張り、の力でを横に滑らせながらを引いて魚介類を漁獲する日本独特の打瀬網漁(帆打瀬)に使用する漁船帆船)のことである。


注釈

  1. ^ 江戸時代前期末ごろから明治時代初期にかけて、菱垣廻船(弁才船)によって、その年の新綿の初荷の大坂から浦賀への到着の順番を競った新綿番船(海上輸送競争)が秋の年中行事として行われた。(また、樽廻船では西宮から江戸(新川)間で新酒番船が行われた。)当初は、平均30日程度で航海していたが、幕末期には5日前後で走破するようになり、48時間という記録もある。古図では、本帆、弥帆、中帆、伝馬帆、艫帆(ともほ)、副帆(そえほ)を張って競争する菱垣廻船の姿が描かれている。コトバンク「新綿番船」ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説日本海事科学振興財団、日本財団 図書館「菱垣新綿番船川口出帆之図」/技術/海洋工学.船舶工学.兵器/成果物情報/船の科学館 もの知りシート/海事科学知識の普及啓蒙活動
  2. ^ 品川区立品川歴史館HPの常設展示の解説シートNo.17「品川の漁業-品川浦と大井御林浦-」の桁船の図には、表弥帆(おもてやほう)と艫弥帆(ともやほう)が描かれている。「品川の漁業-品川浦と大井御林浦-」 品川区立品川歴史館HP、2016年3月 (PDF)
  3. ^ 浦安で使用された打瀬船は浦安の漁船の中では大型で、舳先が低くなってのめっていたので、「のめり船」とも呼ばれた。これは船が風で流されないように舳先を低くしたものであった。
  4. ^ 愛知県型の打瀬船では、その舳先に「ズンド水押」と呼ばれた構造を持たせ、横風帆走や逆風帆走をする時に船首が一種の舵として働き、船首が風下に横流れするのを防いだ。
  5. ^ 野本謙作(大阪大学名誉教授)は、その遺稿「伸子帆の起源と普及について」(海事史研究 第62号 2005年)の中で、「(伸子帆が、我が国の何処で何時頃から用いられるようになったかについて、)明治15年から18年の間に、長崎高島炭鉱と三池炭鉱-口之津の石炭を運搬するために建造された、2檣縦帆装備の「模造西洋形」船(30~80GT:運礦丸シリーズ、黒船とも呼ばれる)がルーツであろう。」と推測している。
  6. ^ 大分県沖の豊前海では、他県からの季節出稼ぎの打瀬船が多く、縦帆2枚と横帆1枚の帆装の打瀬船がともに操業していた。(『百年誌 長洲小学校』のP.231に縦帆2枚の「愛知県型打瀬船」と横帆1枚の「紀州型打瀬船」の図が並べて描かれている。また、『日本水産捕採誌』には豊前海の打瀬船は大帆1枚とある、)「HP帰家隠坐」長洲の歴史/えび舎と打瀬船
  7. ^ 昭和中期は、終戦後と高度経済成長期までで、昭和21年から昭和45年。ウィキペディア(Wikipedia)「昭和」の略年表より
  8. ^ 南竹力のホームページ「串木野の小型和船(帆船)」と同氏が著した郷土誌『近海漁で使われた串木野の小型和船』の中に、鹿児島県串木野(現いちき串木野市)の一本釣り和船の「竪舵(たてかじ)」と「流舵(ながれかじ)」についての説明があり、舵角度の調節の構造と、竪舵の逆風帆走での効果と流舵の効果が詳しく書かれている。南竹力のホームページ「串木野の小型和船(帆船)」4舵・帆の項南竹力著 郷土誌『近海漁で使われた串木野の小型和船』P.18
  9. ^ 愛媛県生涯学習センターの『愛媛県史』によると、愛媛県の漁船の動力化は、昭和31年時点の51.0%から昭和56年時点の89%に上昇したとのこと。また、エンジンの種類別では、昭和32年時点で電気着火(石油発動機)44.3%、ディーゼル38.6%、焼玉エンジン17.1%で、その後、ディーゼル機関化が進み、昭和40年時点で87%がディーゼルエンジンに切り換わったとのことである。愛媛県生涯学習センター「愛媛県史」社会経済2 農林水産(昭和60年(1985)1月31日発行)2愛媛の水産/第三章沿岸漁業の発展/第一節概要/六漁船
  10. ^ 「潮打瀬」と「霞ケ浦と八郎潟の帆引網漁」では1枚、「芦北の観光うたせ船」では最多で9枚の帆を張れるようになっている。熊本観光予約サイト「くまもっと旅行社。」トップ/芦北観光うたせ船 (午前便・昼食付)の項
  11. ^ 愛媛県生涯学習センターの『愛媛県史』によると、愛媛県の漁船の動力化は、昭和31年時点の51.0%から昭和56年時点の89%に上昇したとのこと。また、エンジンの種類別では、昭和32年時点で電気着火(石油発動機)44.3%、ディーゼル38.6%、焼玉エンジン17.1%で、その後、ディーゼル機関化が進み、昭和40年時点で87%がディーゼルエンジンに切り換わったとのことである。愛媛県生涯学習センター「データベース『えひめの記憶』」データベース「えひめの記憶」書籍一覧(愛媛県史)/「愛媛県史」社会経済2 農林水産(昭和60年(1985)1月31日発行)/2愛媛の水産/第三章沿岸漁業の発展/第一節概要/六漁船

出典

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  2. ^ 愛知県の底びき網漁業のあゆみ, p. 17,26.
  3. ^ 塩竈市「塩竈市魚市場50年の歩み」塩竈市HP、ホーム/組織で探す/産業環境部/水産振興課/塩竈市魚市場50年の歩み/第一編 魚市場前史、二 漁業の発達の項、2021年2月10日閲覧。
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  5. ^ 市川康夫ほか「北茨城市平潟町における漁業地域の構造変容」筑波大学HP、人文地理学/リンク/地球科学学位プログラム/地域研究年報/34号/北茨城市平潟町における漁業地域の構造変容、2012年、p.3。
  6. ^ 千葉市千葉市教育委員会 海辺の副読本「千葉市の海辺~遠浅のうみ 豊かなめぐみ」 (PDF) 、令和2年(2020)3月、p.15、2021年2月10日閲覧。
  7. ^ 中内清文「海洋総合辞典」一枚の特選フォト「海&船」/目次No.0~1900/ランダム編/17/東京・品川区立品川歴史館/桁船(けたぶね)、2021年2月10日閲覧。
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  9. ^ a b 品川誠「風の変容 : 三河・伊勢湾の風系と「海の朱鷺-愛知県型打瀬船」」『名古屋造形芸術大学名古屋造形芸術短期大学紀要』第1号、名古屋造形芸術大学、1995年3月、79-102(p.86)、ISSN 1341-0997NAID 110000565100 
  10. ^ 増山豊, 梅田直哉「2015S-OS3-6 野本謙作先生の「我が国の沿岸帆船研究」について」『日本船舶海洋工学会講演会論文集』第20巻、日本船舶海洋工学会、2015年、101-104(p.103)、doi:10.14856/conf.20.0_101NAID 130006315123 
  11. ^ 増山豊「明治以降の内航帆船・機帆船の造船学的研究―野本謙作先生が明らかにされたことと残されたこと―」第30回海友フォーラム資料、平成28年(2016)10月17日、p.7-8。
  12. ^ 農商務省水産局『日本水産捕採誌 全』1929年昭和4年1月 Google検索サイト、書籍/日本水産捕採誌/電子書籍、P.178。
  13. ^ 愛知県の底びき網漁業のあゆみ, p. 17-41.
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  16. ^ 日本海事科学振興財団日本財団 図書館「さまざまな弁才船(べざいせん)」Top/技術/海洋工学.船舶工学.兵器/成果物情報/船の科学館 もの知りシート/海事科学知識の普及啓蒙活動、2002年度
  17. ^ 杉田英昭「江戸海運を支えた弁才船(べざいせん)」『海事資料館研究年報』第31号、神戸大学、2003年、1-9(p.6)、ISSN 0919-4665NAID 110000956001 
  18. ^ コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)「舵」の解説より
  19. ^ ヤンマー株式会社 ヤンマー100年史1912-2012「YANMAR」、2013年12月1日、pp.80,92-98,100-101、2021年7月25日閲覧。
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  23. ^ 日本海事科学振興財団日本財団 図書館「弁才船(べざいせん)の帆走(はんそう)と航海(こうかい)」Top/技術/海洋工学.船舶工学.兵器/成果物情報/船の科学館 もの知りシート/海事科学知識の普及啓蒙活動、2002年度
  24. ^ 品川誠「風の変容 : 三河・伊勢湾の風系と「海の朱鷺-愛知県型打瀬船」」『名古屋造形芸術大学名古屋造形芸術短期大学紀要』第1号、名古屋造形芸術大学、1995年3月、79-102(p.88)、ISSN 1341-0997NAID 110000565100 
  25. ^ a b 「熊本型教育旅行サイト」トップ/学習スポット/観光うたせ船の項、2021年2月10日閲覧。
  26. ^ 愛知県の底びき網漁業の歩み, p. 27-29,34.
  27. ^ 山名伸作 1959.
  28. ^ 無形民族文化財「霞ヶ浦の帆引網漁の技術」文化遺産オンライン 2020年10月27日閲覧
  29. ^ 別海町「野付湾」役場トップページ/観光・イベント/観光スポット/景観スポット/別海十景/野付湾、2021年2月10日閲覧。
  30. ^ 地方行政独立法人北海道立総合研究機構「マリンネット北海道」 水産研究本部 ホッカイエビ:えび打瀬漁業(ホッカイエビ)の項、2021年2月10日閲覧。
  31. ^ 日本財団「海洋・船舶の実情調査及び研究等」、2000年度




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