戴煕とは? わかりやすく解説

戴煕

読み方:たいき

清代学者軍人安徽生。字は醇士、号に庵・蒓渓・屏、井東居士・鹿牀居士等と称する道光12年(1832)任官礼部兵部侍郎至って致仕太平天国の乱には官軍率いて活躍する書画能くした。咸豊10年1860)歿、60才。

戴熙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/13 10:13 UTC 版)

戴熙
戴煕、天台石橋図 クリーブランド美術館

戴 熙(たい き、Dai Xi1801年 - 1860年)、字は醇士、号は鹿床棆庵井東居士末の画家。

浙江省銭塘(現在の杭州市)出身。弟に数学者の戴煦がいる。1832年進士となり、翰林院編修となった。広東学政、内閣学士を経て兵部右侍郎に至り、退官後は崇文書院の主講となった。太平天国の乱が発生すると団練を組織して杭州の防衛にあたった。1860年に太平天国軍が杭州を陥落させると、戴熙は池に身を投じて自殺した。死後、文節の諡号が贈られた。

山水画を虞山派の王翬に学んだが、婁東派にも接近した。筆致は厳しく雄大である。また竹石小品や花卉画も善くした。湯貽汾とともに画名をはせ、「湯戴」と称された。『山水長巻』や『重巒密樹図』などの作品が残されている。

著作に『画絮』『粤雅集』がある。

参考文献

  • 東京国立博物館, 米国2大美術館中国の絵画展図録, 1983



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