戦前の納屋制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 23:51 UTC 版)
納屋制度による労働環境が劣悪だとして問題になり、朝鮮人や被差別部落民らが労働争議を起こした。1939年時点で麻生炭鉱には約1000人の朝鮮人労働者がおり、労働環境は過酷で、ダイナマイトなどを使う危険な作業により一日に1人から2人は亡くなっていたという。1940年代以降は朝鮮人労働者が大きく増えたため朝鮮人寮が別途あったが、自由のない収監所同然の生活だった。さらに賃金がまともに支給されなかったり、日常的に暴力を振るわれたりするなどした結果、1944年に福岡県が作成した「移入半島人(朝鮮人)労務者に関する調査表」によれば、過酷な労働環境により、麻生鉱業の全労働者7996人のうち、61.5%にのぼる4919人が逃走したことが明らかになっている。
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