成瀬家の援助と京大入学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:07 UTC 版)
「マント事件」の記事における「成瀬家の援助と京大入学」の解説
菊池の退学後、成瀬正一はすぐに父・成瀬正恭(当時十五銀行の総支配人)に相談した。菊池の退校理由は一切話さず、大学に行く学資が菊池にないから援助してほしいと頼み込んだ。成瀬の父は菊池と同じ香川県出身ということもあり、快く息子の頼みを聞き入れた。 無精であった菊池は、3つの条件(毎日の洗顔、風呂に入ること、着替えをすること)を誓った上で白金三光町の成瀬家に寄宿し、成瀬の母・峰子から母子同様の親身な世話を受けながら、9月に京都帝国大学英文科へ進学する(当初は選科で、翌年に高等学校卒業検定試験に合格してから本科に移る)。ちなみに、成瀬が、菊池の退学と佐野が故郷に帰った真実の事情を初めて知ったのは、6月に友人の石原から告げられた時であった。 菊池は高等学校卒業検定試験合格の際に東京帝国大学文科大学(現在の東京大学文学部)の進学を希望していたが、当時の文科大学長上田萬年の認めるところとならなかった。成瀬と石原が直接に上田学長に必死に懇願してもだめであった。上田萬年は佐野の保証人で、佐野が上田の印章でなくデタラメな印章を押印し下宿届などを一高に出していたことが発覚したこともあったため、上田は菊池を佐野の「悪友」と見なしていたようでもあった。
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