愛鷹山払い下げ運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 13:56 UTC 版)
1882年(明治15年)地租改正により愛鷹山が国有地化された。江戸時代から入会地として江頭浩蔵ら地元金岡村の有力者は、地元農民の生活を支えてきた愛鷹山を無償で貸してもらうよう、素六に交渉を依頼した。一度は1883年(明治16年)に官林拝借願いが通り、無料貸渡の許可を得たが、1889年(明治22年)に、御用林に編入されてしまい、翌年1890年(明治23年)に素六に第1回衆議院議員選挙に立候補してもらうべく、江頭浩蔵らは土地を提供し被選挙権を得られるよう工面した。素六は農民ともども東京まで出向き、ついに1899年(明治32年)に払い下げに成功した。愛鷹山の払い下げは旧士族に恩恵を与えただけではなく、地域住民広くにおよび、沼津の功労者として素六の名は今日に残っている。
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