心臓発作とバルボ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 14:52 UTC 版)
「フランソワ・デュヴァリエ」の記事における「心臓発作とバルボ事件」の解説
1959年5月24日、デュヴァリエはインスリンの過剰摂取のため強い心臓発作に襲われた。彼は成人してまもなく糖尿病を患い、心臓病とそれにともなう循環系の問題も抱えていた。意識を失ったまま9時間あまりが過ぎたため、周囲は脳障害だと信じて疑わず、大統領の心に失調をもたらし偏執的な人間にかえてしまったのだと考えた。 回復するまでのあいだ実務は当時トントン・マクートのトップだったクレメンテ・バルボ(英語版)に命じられた。しかしデュヴァリエが健康をとりもどすと、バルボは大統領に取って代わろうとしたという罪で咎められ、そのまま投獄されてしまった。1963年4月に釈放されたバルボは、デュヴァリエの子供たちを誘拐して大統領を権力の座から引きずり下ろす計画をたてた。この企みは成功せず、バルボとその共謀者たちには大規模な捜索命令がだされた。同時にハイチ中の黒い犬を処刑せよという指令も下されている。デュヴァリエは彼らが自分たちの姿を黒犬に変えたという話を耳にしたのである。その後バルボは捕らえられ、1963年7月にトントン・マクートによって射殺された。べつの事件では、死刑にされた反逆者の頭が氷漬けにされて大統領のもとに運ばれている。デュヴァリエはそうすることで死者の魂との交話を試みたという。また取調室の壁にはデュヴァリエ用の覗き穴があけられており、職務を離れたときなど彼はそこから拷問され、硫酸のプールに沈められる受刑者を眺めていた。ときには部屋のなかで直接拷問の様子を窺うこともあったようである。 デュヴァリエのクローゼットにはかつてデュヴァリエを追い落とそうと画策していた政敵の首がおさめられていたことが伝わっている。
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