德川四天王とは? わかりやすく解説

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徳川四天王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 01:02 UTC 版)

徳川四天王(とくがわしてんのう)は、安土桃山時代から江戸時代初期に、徳川家康側近として仕えて江戸幕府の樹立に功績を立てた酒井忠次本多忠勝榊原康政井伊直政の4人を武田四天王等と同様に顕彰した呼称。仏教四天王に準えている。類似の取組みとして更に12人を加えた徳川十六神将がある。


注釈

  1. ^ ただし、村山当該論文では「徳川四天王」の命名開始としておらず、あくまで4名が有名になったことのみを述べている。
  2. ^ この説を最初に唱えた川田貞夫は本多・榊原・井伊・鳥居・大久保の5名を想定し、市村貞夫は川田説に同意しつつも対象になったのは本多・榊原・井伊の3名であるとする説を唱えた。川田・市村らの見解は、上杉家の会津移封の際に豊臣政権が直江兼続に対しても同様の措置が取っていることから有力な通説になっている[5]。川田・市村いずれの見解を採っても酒井忠次はこの対象とはされておらず、特に川田説を採用した場合には鳥居元忠や大久保忠世の方が酒井忠次よりも格上であったことになる。

出典

  1. ^ 中村達夫「知勇兼備の戦国武将の典型 井伊直政」『歴史群像シリーズ』22号・徳川四天王、1991年、125頁。
  2. ^ 村山和夫「無を貫いた不退転の猛将 榊原康政」『歴史群像シリーズ』22号・徳川四天王、1991年、111頁[注釈 1]
  3. ^ Dickins 1894.
  4. ^ 根岸「三河軍団の最高軍事司令官 酒井忠次」『歴史群像シリーズ』22号・徳川四天王、1991年、97-99頁。
  5. ^ 平野明夫「関東領有期徳川氏家臣と豊臣政権」、佐藤博信 編『中世東国の政治構造 中世東国論:上』、岩田書院、2007年 ISBN 978-4-87294-472-3


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