徳島藩政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 07:12 UTC 版)
1585年(天正13年)、豊臣秀吉の命令による豊臣秀長の主力勢は、淡路島から土佐泊(現鳴門市鳴門町土佐泊浦)へ、蜂須賀軍勢を含む大軍は、讃岐から峠越えで阿波に入り、秀長軍と合流して一宮城(現徳島市一宮町)を攻略したという。蜂須賀家が支配する徳島藩の重要な関所として、峠道への山路にかかる地点に大坂口御番所(峠より1km余の地点)が、1644年(正保元年)から1872年(明治5年)までの約230年間、通行人と物資の出入りを見張った。 また、四国八十八箇所巡礼において、行路の都合で途中の札所から遍路を始めて88番大窪寺から1番霊山寺に向かうことになった場合には大坂峠越えが用いられるようになった。
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