復辟後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 08:01 UTC 版)
奪門の変を成功させた石亨と曹吉祥の一派はその後、その功を笠に着て専横を尽くしたため「曹石」と呼ばれて恐れられた。このためさすがの天順帝も彼らを排除しようと決意する。まず、天順3年(1459年)に石亨を親族の罪に連座させる形で失脚させ、翌年に獄死させた。曹吉祥の甥の曹欽が天順5年(1461年)にクーデターを起こすが失敗、曹欽は自殺し、曹吉祥も死罪にされた。 天順8年(1464年)、38歳で死去した。跡を子の朱見深(成化帝)が継いだ。
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