復帰、早過ぎる死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 10:23 UTC 版)
「アンナ・メイ・ウォン」の記事における「復帰、早過ぎる死」の解説
1949年、ウォンは映画『インパクト』の脇役で映画界に復帰した。役柄は引退以前と同じステレオタイプの東洋人女性だった。続く『黒い肖像』(1960)共々、似たような役柄が続き、ウォンは「また例の役よ」と苦笑いしたという。しかし、その次にウォンはついに、求めていた役柄と巡り会った。それは中国系アメリカ人の家庭を舞台にしたミュージカル映画『フラワー・ドラム・ソング』(1961年)の母親役だった。ウォンは興奮し、出演に向けて意気込んだ。 ところが、出演が実現するかに思えた1961年、肝硬変を患っていたウォンは、サンタモニカの自宅で心臓発作で急死した。56歳、終生独身だった。
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