建設年度と信憑性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 01:53 UTC 版)
「キエフ・ルーシ期の都市」の記事における「建設年度と信憑性」の解説
ルーシの初期の都市の建設年度の確定は困難である。通常、年代記の最初の言及をそれに当てはめるが、年代記に言及された年には既に、その都市は建設されていた可能性を考慮する必要がある。より正確な建設年度は、例えば考古学上の出土品等の間接的なデータによって定められるはずであるが、いくつかの考古学上のデータは、年代記の記述に反している。例をあげると、ノヴゴロドとスモレンスクの、年代記での初出は9世紀であるが、今のところ、10世紀より古い層からの出土品はない。もしくは、都市によっては考古学的手段からのデータは不十分である。現状では、都市の建設年度に関する証拠の優位性は(プトレマイオス朝並に古いとする記述には信用が置かれていないが、)年代記に与えられている。 キエフルーシ期の都市の数は、年代記の記述を重視すると、主要な入植地、各部族の中心地、各公国の支配拠点などが計上される。しかし、年代記の記述不足、年代記の典拠の欠如などから、都市の数は、たとえ近似値でも確立することができていない。従って、年代記を元に2ダース以上の都市を列挙することができるが、それは不完全な一覧である。
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