床次竹二郎の盟友として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 08:57 UTC 版)
「榊田清兵衛」の記事における「床次竹二郎の盟友として」の解説
1921年(大正10年)11月、尊敬していた原が東京駅で刺殺されると甚だしく落胆し、政界引退まで言明したものの、当時政友会の協議員長の重職にあり周囲の情勢が引退を許さなかった。原亡き後は床次竹二郎と政治行動を共にし、床次内閣実現のために奔走した。1924年(大正13年)1月に清浦内閣支持をめぐって高橋是清総裁と対立して政友会を脱党し、床次を総裁として政友本党を結成した。1927年(昭和2年)には憲政会と合同して立憲民政党を結成、翌年8月には民政党を脱党して新党倶楽部を結成、さらに1929年(昭和4年)7月には床次一派の新党倶楽部は政友会に復帰した。
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