庄下村とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 庄下村の意味・解説 

庄下村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 02:15 UTC 版)

しょうげむら
庄下村
廃止日 1952年4月1日
廃止理由 新設合併
出町油田村中野村庄下村五鹿屋村林村砺波町
現在の自治体 砺波市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
東礪波郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 3.62[1] km2.
総人口 1,322[2]
1938年昭和13年)末[2]
隣接自治体 油田村、南般若村太田村、中野村、五鹿屋村、出町
庄下村役場
所在地 富山県東礪波郡庄下村大字矢木[3]
座標 北緯36度38分24秒 東経136度58分12秒 / 北緯36.64006度 東経136.97度 / 36.64006; 136.97座標: 北緯36度38分24秒 東経136度58分12秒 / 北緯36.64006度 東経136.97度 / 36.64006; 136.97
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

庄下村(しょうげむら)は、かつて富山県東礪波郡にあった。現在の砺波市庄下地区で、地区内には大門素麺の生産で名高い大門集落がある。

村名は十村組の庄下組(庄川の下ということで近世に作られた俗称と思われる)に属していたことが直接の由来となっている[3]

沿革

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、礪波郡庄下舘村、庄下新村、矢木(やぎ)村、大門(おおかど)村、大門新村、坪内(つぼのうち)村、高道(たかんど)村及び宮村(みやむら、現在の住所も砺波市宮村)の区域をもって、礪波郡庄下村が発足する。
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、礪波郡が分割して、東礪波郡が発足により、東礪波郡に所属となる。
  • 1913年大正2年) - 大字大門新が大字大門に合併[3]
  • 1952年昭和27年)4月1日 - 東礪波郡出町、油田村、中野村、庄下村、五鹿屋村及び林村が合併して、東礪波郡砺波町が発足する。

参考文献

脚注

  1. ^ 『富山県町村合併誌 上巻』(1961年9月1日、富山県発行)266頁。
  2. ^ a b 『富山県町村合併誌 上巻』(1961年9月1日、富山県発行)253、266頁。
  3. ^ a b c 角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)436ページ

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「庄下村」の関連用語

庄下村のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



庄下村のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの庄下村 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS